富山県と輸入木材
column

2018.01.28
富山県と輸入木材

まだ陸路が十分に整備されていない頃、木材の輸送は海運が力をふるっていました。能登で伐採したアテ(=能登ヒバ、アスナロ)等も、石川県内よりも富山県に運ぶ方が多かったと言われています。

昭和30 年代となるとその立地を活かし、ロシアとの交易が始まります。昭和43年に富山新港が整備されたことでその交易はさらに盛んになり、昭和48年には年間180万立米(立方メートル)もの木材がロシアから輸入されるようになりました。そうした背景から、この富山県には製材工場や木材の輸入を行う企業が多く存在しています。

この頃には陸路も整備され、富山県で製材した製品が、全国に向けて搬送されるようになりました。富山から材木を積んで出て行った車が積み荷を降ろし、また富山に戻ってくる。この際、荷台が空っぽでは、燃料も人件費も無駄になります。そこでこの帰り荷に太平洋側の港に届くアメリカやカナダの材木を載せて帰ってきたのが、富山県にありながら米材を中心に扱う石敬木材センターの興りでした。

この「帰り荷」の考え方は決して珍しいものではなく、例えばロシアから木材を運んできたタンカー船には、よく日本の中古車を載せて帰ります。そのため、富山県には中古車を輸出する企業も多く存在しています。

21世紀になると、ロシアから日本に丸太を輸入する際の関税が大幅に引き上げられ、富山県の木材事情も一変しました。特に製材工場は大きな影響を受け、方向の転換を迫られることとなりました。

当社でも現在は米材にこだわらず、ロシア材、欧州材、国産材の各種製品を幅広く取り扱っています。